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    日々、偶景から




                 平戸にて(2014年3月23日)
                 約400年前、平戸イギリス商館のあったあたり。
                 1600年イギリス東インド会社が設立され、第8回航海のクローブ号が、
                 1613年に平戸港に到着。司令官ジョン・セールスは松浦鎮信の斡旋で、
                 徳川家康から通商の認可を得て、商館、住居、倉庫を建てて業務を開
                 始した。しかし1623年に撤退した。


                 ウイリアム・アダムズ(三浦按針)終焉の地。1620年57歳。今ではピアノ教室になっている。


                 アダムズの館が建っていたあたり。今はカスドースで有名な菓子屋「蔦屋」がある。


                 オランダ船の錨。1952年、川内港から引き上げられた。


                   三浦按針の墓。
                   これで、アダムズの生誕地(イギリス・ジリンガム)、終焉の地の
                   両方を訪れたことになる。この人物のことは、何らかの方法で作品
                   化を予定している。


                 オランダ商館に展示されていた「コショロジャガタラ文」。
                 1639年に発令された外国人取締でジャカルタに追放された混血児が、日本の肉親に宛てた
                 手紙を「ジャガタラ文」というが、これは更紗に書かれた「コショロ」のもの。


                 平戸オランダ商館 復元された1639年築造倉庫
                 当時の商館の役割は、日本との取引よりも、ポルトガルや中国船から略奪した
                 物質を陸揚げし、仕分けしてヴァタビアに送ることであった。
 


                 大分県、佐志生[さしう]の黒島にあるエラスムス像。
                 漂着したリーフデ号の船尾飾りの木像は、「化狄尊者」として信仰の対象
                 であったが、現在国立博物館に所蔵されている。


                  

                 黒島から見た大分県佐志生の臼杵湾。1600年4月19日、リーフデ号はここに漂着した。     


                  

                 大分県日田市、恩師の江河徹先生の墓参りのあと、立ち寄った豆田町。
                 日田は豊かな土地柄で天領であったが、ここには江戸と明治初期の面影を残す家が残っている。


                 3月30日、吉祥寺パラーダで、詩人の野村喜和夫氏と「未完の先へ」と題して
                 トーク(司会は蓑田知佐さん)。野村さんは朗読もトークも巧みで、刺戟的な
                 一夜となった。
                 


                  

                 トークはこの椅子に座って進めた。止まり木のような微妙な座り心地が、
                 話のゆらぎに合っていた。左にあるのは愛用の鞄(そろそろ飽きたが)。
                 秋には、アフォリズムをめぐるトークを予定している。

              

          




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