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転落譚、愛を道連れに 折々の景から にもかかわらず、時は動く

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 にもかかわらず、時は動く



東京都、豊島区



 鬼子母神の大銀杏。最近とみに、老樹に向かって呟きかけることが
                     多くなった。理由はたくさんあるとも、ないとも言える。



埼玉県、東松山市



 岩殿観音の大銀杏。樹齢およそ700年という。
                     大東文化大学に赴任して以来、折々の学生たちと見つめてきた。
                     その35年の長いような短いような時間。






東京都



 病を得た日々、11階の病棟から何度となく見た夜明け。
                            これほど繰り返し、曙光を見た経験はない。
                            朝が始まったとおもうときと、夜がようやく終わった
                            と思うときが交互にやってきた。

 そうは言いつつも、太陽が昇り、日が更新された瞬間、
                            感謝の呟きを空に向かって放った。
                            私自身さえ聞こえないほど、あまりに胸の奥からの
                            小さな声であったけれど。






東京都、池袋



 2012年、12月4日。
                          立教大学のクリスマス・イルミネーションの点灯式に参列。
                          学生時代、非常勤講師時代を通じて初めてのことだが、今年
                          は病の癒えた感謝の思いに促されたせいだ。






長野県、高遠城址


 桜の名所として知られる。古木に若木を継いでいる。
                     この桜の若返りの技術は、難しいものらしい。
                     ここで、どのような「老若」と「接続」をめぐって思考が
                     さまよい出したか、いま、思い出そうとしている。






東京都、渋谷


 旧東急文化会館の後に建った高層ビル「渋谷ヒカリエ」
                            8Fから。あの建物の記憶がよみがえる。
                            プラネタリウム? それよりもむしろニュース専門の映
                            画館(100円だった)。
                            下界の谷間は、何やら工事中。この違和感は何だろう。





埼玉県東松山市、岩殿山


  山の中腹の道、紫陽花にカメラを構えた瞬間、
                             百合の花の奥に小さな社があることに気づく。
                             あわてて拝んだ。何を祈ったのか判らない。
                             祈ることはあふれるほど増えているのに。






東京、秋葉原


 「電気街まつり」のいたるところで放射能の測定器を
                             売っている。
                             右のカウンターはウクライナ製。1986年4月26日、チェ
                             ルノブイリ原子力発電所4号機で起こった爆発事故か
                             ら、ウクライナではこうしたカウンターが日常生活の
                             必需品になった。うかつにも私たちはこうした4・26以
                             降の「日常」はほとんど彼岸のものとして生きてきた。
                             左は日本製のカウンター。この家庭常備の体温計を思わ
                             せる形態に何を思うか。
                             ガイガーカウンターが必需品となった「日常」は今や此
                             岸として続く。








影の日蝕


 2012年5月21日午前7時40分、東京。
                            紅葉の枝のあいだから木漏れ日がもれ、車のボディに皆
                            既日蝕の太陽がたくさん現われた。汚埃のメタルの鏡面
                            に夥しい太陽が映る。私は実像よりこの鏡像の太陽のほ
                            うに心惹かれた。しかしその後、そんな気分を揺らす声
                            が、風とともにやってきた。「なぜ私は皆既日蝕の太陽
                            を仰ぎ見たと思いますか? 
                            この広大な宇宙のなかで、太陽と、月と、私が、真っす
                            ぐひとつに結ばれる瞬間を感じとるためなのです」と。
                            どこから訪れた声だったのか。私の心のなかの遠い未知
                            の場所だろうか。








長野県、原村


 誰もいない。止まるのは私だけ。
                                          止まったというより、立ちすくんだのだ。
                                          どうしてこんな場所に?
                                          南アルプスを望む風景のためでは、たぶん、ない。
                            「止まれ」の文字が、ふいに私を捉えたのだ。
                             私の何を?





中勘助の「杓子庵」


 中勘助は57歳で結婚したあと、東京から戦火
                     をのがれて静岡県服織(はとり)村(現・静岡市
                     葵区)に移り住んだ。「杓子庵」は、夫妻が昭和
                     18年10月から昭和20年3月まで生活してい
                     た六畳一間の農家の離れ。近くに藁科川が流れる。








 中勘助が「杓子庵」で使っていた火鉢と消壷



「杓子庵」の窓から。
                               この住まいの命名の由来となった杓子菜が、
                              折り好く咲き誇っていた。








沖縄・久高島、「フボー(クボー)御嶽」の祭祀場入口


 久高島の中央西側、琉球創世神話に登場する七御嶽の
                            ひとつ。霊威(セジ)高い場所として、琉球王朝から敬
                            拝されてきた。
                            この森の奥に円形広場があり、イザイホーやフバワク行
                            事などの祭祀場になっているが、島の神女のみ立ち入る
                            ことが許された聖域。
                            右の下に見えるのは立入禁止の掲示。








富士の湧き水の疏水べりの道でたたずむ哲学者の加藤武先生。(静岡県三島市)



 1月24日、いろいろ事情が重なって延期になっていた哲学者の加藤武先生のレクチャー「ときとことば」を拝聴し
 に静岡の三島まで行った。
 時間副詞に着目し、ご自身の幼児のときの時間体験からはじまり、杜甫の漢詩から、ポーの詩へと考察がつづく。い
 つもながら、芸術と哲学を自在に往還する創意にみちた思索の広がり。このような講義を一人で受ける至福と贅沢。
 コースは10月と同じ、「桜屋」という老舗で鰻重を食べ、富士の湧き水の疏水べりの道を歩き、「欅」という甘味
 のお店で粒餡のお汁粉を食べながら、2時間ほどの講義を拝聴する極上の時間を過ごした。加藤先生は八十六歳にな
 られるのだが、二年後の刊行をめざし著作を準備されていて、ひたすら敬服するほかはない。3部構成で今回のレク
 チャーはその第1部にあたる(2部は「アウグステイヌスととき」、3部は「演奏としての言語」のご予定とか)。
 完成を心から願いながら、講義を思い起こし、帰りの新幹線では窓から、雪の残る夕暮の景色を眺めていた。








立教大学図書館前のクリスマスツリー(2011年12月24日に)


 40年余り前のクリスマス、図書館の窓からいつまで
                             もクリスマスツリーを見つめていた。十分に不遜な思い
                             と欝勃たる感情をもって。
                             もちろん、そのときでさえ、ささやかに祈ることはあっ                             た。
                             そして、いま、不遜な思いも欝勃たる感情も(たぶん)
                             すこぶると小さくなって、祈ること、祈らざるをえない
                             ことが大きくなった。






東京都 杉並区久我山、玉川上水の兵庫橋付近


 少年時代の記憶の濃密な場所だが、
                         近いうちに自動車幹線道路として消える。誰のために?






2011年9月、ルツェルン音楽祭の最終日、演奏が終わって(KKLで)




               思いもかけない幸運があって、聞くことのできたダニエル・バレンボイム指揮、
               ベルリン・シュターツカペレの演奏会。
               モーツアルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調(ピアノと指揮バレンボイム)。
               アレグロの開始早々、欝屈した熱情ときわだって清澄な響きの交錯に心を奪われた。
               休憩後のブルックナーの交響曲第7番は、この曲に限ってもあのギュンター・ヴァント
               をしのぐだけでなく、これまで聞いた最も感動的な演奏会のひとつとなった。
               音のエネルギーが垂直に立ち昇り、屹立するかのようだった。そして、ふたたび静寂に
               むかって下降していく。その永遠を思わせる反復。細部のソノリティの美しさは、戦慄
               を覚えたほどだ



ステージ裏のピット席の人々にも歓呼に応える。





ルツェルン湖畔

 ゆるやかに流れる時間、そして語らいもまた



ルツェルン、KKL3階ロビー

 遠くを見つめつつ、話題もまた遠くへ








チューリッヒ、リマト川のほとり

 午後の会話、川の流れとともに



チューリッヒ湖畔

 何の語らいか、時を忘れるほどに







夏、広島


返歌のアイロニーに、思わず足がとまった。
                                 2011年8月6日、広島の平和公園。
                                「康弘」氏の堂々たる歌碑の下に、黒の折り鶴とともに返歌が置かれていた。
                                
                                「悲しみの 夏雲へむけ 鳩放つ」(康弘)
                                「黒き鶴 広島今も 灼かれをり」(読み人知らず)
                                
                                このアイロニーは説明するまでもないだろう。





 広島・太田川の灯籠流し。
                         同じ日の夜。 亡き人への思いをこめた灯篭が、
                         なぜか流れを遡っていく。しかも寄り添うように。






信州、長門牧場にて

雲も、大地も、木々も、
                            あらかじめ失われた風景であってよいはずはない。






遠くを見つめる眼差しが失われてよいはずはない。





たとえ今、
                            憤怒と悔恨と不安の思いに急き立てられようと。







 白い包みにくるまれているのは何か?
                            干し草。明日の糧となるものだ。